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自分語り93
再掲
J-CORE文化大革命

2007.12.13.掲載


J-CORE「文化大革命」後、知識人層にあたる「本物のハードコア」が大虐殺される。当時は勢力が拮抗していたが、私達J-COREは勢いを調節しながら勢力を伸ばすことはできない、このまま本物のハードコアにも復興してもらい、異なる二つの勢力そのまま反映して欲しいという意味で書きました。2015年現在、虐殺は完了しました。




【J-CORE論】

今日はいつもよりやや真剣に日本のハードコアテクノを考えてみたいと思います。

今回は普段の「テクノウチの興味のある分野」ではなく、「テクノウチも属しているであろう分野」の中の話を出来るだけ率直に記述していくことになると思います。ですので、これを書くことによって意見の違う人、例え同じ意見であっても立場の違う人からは、または販売戦略的としてわかってはいても言葉に出してほしくない人からは、批判の目で見られることになるかもしれません。 とはいえ、私としてもそういった批判に対して「どうだっていいや」と思ってるわけではなく、私の本心としてそれなりの確信と覚悟をもって主張させてもらってることを、再度確認した上で読んで頂きたいと思います。

【日本のハードコアテクノシーン】

さて2007年は、いえ、2006年〜2007年はどのような年だったのでしょうか。まず、元からシーンにいた人にとってはハードコアテクノが終わった年、今シーンにいる人にとってはハードコアテクノが激変した年と言えるのではないかと思います。 今の一文を読んで驚かれた方はいらっしゃいますでしょうか。恐らく「驚かなかった方」は「日本のハードコアテクノシーンに普段から関わっている方」で、恐らく「驚いた方」は「これまでの日本のハードコアシーンにいなかった方」、もしくは「日本のハードコアシーンに関わっていても”テクノウチがわざわざそういうことを言うとは思わなかった”という方」ではないかと思います。

【ナードコア・テクノ と J-CORE】

J-COREという言葉があります。かなり前からJ-COREという単語を使っていた先駆的なアーティストもいましたが、私がはじめてJ-COREという言葉を目にしたのは海外のブログでした。「J-CORE」という単語があり、そこには短い解説とともに代表アーティストの一覧もあり、その中には私の名前も含まれていました。

「J-CORE??なんだそれは???」私はそこではじめて海外に「J-CORE FREAK」な人々がいて、その人達が私達日本産ハードコアを「Happy Hardcore, UK Hardcore, Dutch Gabba, Speedcoreをベースとした、メインストリームのそれとは異なるスタイルのハードコア」とシーンの真ん中にいる彼らが認識していることを知りました。

話が一気に戻りますが、国内ではある時期に「ナードコア・テクノ」が大流行しました。(この時既にコミックマーケット・同人音楽という特殊な市場があり、クラブシーンそれ自体とは距離を持ちながら、それでいて確実に同人音楽の発展の歴史と重なる時期に、)クラブシーンの方から新しいサンプリングスタイルのジャンルとして「ナードコア・テクノ」が登場し、今では信じられない程の人数を含めての大きな話題となりました。

以降、当時サブカルを巻き込んでもしくはサブカルに巻き込まれてこれらの分野が雑誌掲載されていましたが、その時の記述に合わせ「NERDCORE TECHNO」ではなく「ナードコア・テクノ」と記述させて頂きます。当時私はサブカル雑誌「Quick Japan」にて「ナードコア・テクノの夜明け」と呼ばれる特集を目にし、大変な衝撃を受けました。

クラブとはカッコイイもの、オシャレなものであって、オタク的なモノ(ここには現状のようなアニメだけでなく、当時は映画・格闘技・ドラマ・ラジオなどありとあらゆる「オタク的なモノ」が含まれています)が入る余地など無いと思っていただけに、そこに書かれた「ナードコア・テクノ」という音楽と、そこに書かれた「ナードコア・テクノのライブ、と称される明らかにクラブ的ではないパフォーマンス」の数々に圧倒されました。

ナードコア・テクノのはじまりやそれぞれのアーティストの現状についてはここでは語りません。私がそれを語るにはあまりにもリアルタイム世代としての体験が乏しく、書けば書くほど当時の状況から逸れた記述になってしまうでしょう。端的にいえば「DJ TECHNORCHは本当のナードコアがわかっていない」のです。だからここでは私達が今まさに体験しているリアルタイムJ-COREへと繋がる、それ以降の話一点へ集中して記述します。

ナードコア・テクノは途中から、それ自体のスタイルを保ったアーティストや、コミックマーケット・同人音楽という「二次創作」のスタイルにダイレクトな影響を受けた次世代に受け継がれて発展し、気がつくと日本のハードコアテクノは世界に類を見ないこの「特殊なセンス」が当たり前の状況になりました。これはナードコア・テクノの発展でもあり、逆説的にはナードコア・テクノ以外の衰退でもあると思われます。

つまりナードコア・テクノ的(ナードコア・テクノ本流から影響を受けつつも、同人音楽等の影響から元のスタイルとは少しずれたスタイルを考え、ナードコア・テクノ的と表現しました。)な楽曲を作るアーティストが増え、それに対してナードコア・テクノ的ではないアーティストは段々と第一線から退いてきた。

「ふざけるな、おまえらがそんなモノばっかり聞いてるだけで、本当のハードコアを作るアーティストは沢山いるぞ。」というのはご尤もな意見です。ですが「そんなモノばっかり聞いてる」人々が確実に増加しているのは誰の目に明らかです。これはハードコアテクノが音楽ジャンルの一つとして単純に人気を低下させていったことと、音楽業界の中で唯一急成長しているジャンルである同人音楽の市場でハードコアテクノが次第に人気を上昇させていったという二つの出来事が同時に起きた結果だと思っています。

そしてこのナードコア・テクノ的な音楽が「私が作っている音楽は、ナードコア・テクノと言います。」という主張が改めて出てこなくなるほど当たり前の日本のハードコアテクノのセンスとなっていった頃に、海外の人々が気付きました。「日本人の作るハードコアテクノは何かがおかしい」、そのセンスはJ-COREと呼ばれ、ナードコア・テクノの影響は強いけれど別にナードコア・テクノと呼ぶほど近くはないこの音楽をJ-COREと呼ぶことを、日本人クリエイターの全てではないにしてもその多くは、受け入れました。J-COREという一言には先ほどまで私が「日本人的な」とか「ナードコア・テクノ的な」とか呼んでいた人々の曖昧な感情を一気に解決する説得力があったのです。

【「J-CORE ・同人音楽」 ≠ 音楽ジャンル】

私はA-POP及び同人音楽を世界で一番尖鋭的・前衛的なスタイルだと思っている音楽家です。そういう前提を持った私の一個人の色眼鏡的な発言だと受け取って頂いて構いませんが、このJ-COREという単語は、単純に数ある音楽ジャンルを指す単語の一つなのではなく、実は音楽市場を指す用語ではないかと思います。

そしてこの単語には非常に同人音楽的な精神が溢れています。まずJ-COREと呼ばれる音楽は何なのでしょうか(≠J-COREの定義とは何なのでしょうか)、私は「日本人的センスで作ったハードコア」全てがJ-COREであるのだと思っています。日本人的センスを発揮して作った音楽はその結果が、「音楽ジャンルを指す用語」で言うGABBAであれSPEEDOREであれHAPPY HARDCOREであれUK HARDCOREであれFREEFORM HARDCOREであれNU STYLEであれJUMPSTYLEであれ、これを一言「音楽市場を指す用語」であるJ-COREを用いて包括すること呼ぶことができます。

これは正に同人音楽という考え方そのものではないでしょうか。「テクノ」は「音楽ジャンルを指す用語」です。テクノファンはテクノDJのトラックをテクノのレコードショップに買いに行きテクノのレコードを買いテクノのDJの演奏をテクノのクラブイベントで聞きます。「同人音楽」は「音楽市場を指す用語」です。同人音楽のファンは同人音楽ショップに行き幻想音楽を買いメタルを買い電波ソングを買いテクノを買いトランスを買いハードコアを買い、同人音楽のイベントで幻想音楽を聴きメタルを聴き電波ソングを聴きテクノを聴きトランスを聴きハードコアを聴きます。

私は、同人音楽は最終出力としての音楽ジャンルを指すものではなく、同人音楽クリエイターが作った音楽は全て同人音楽なのであるという、音楽市場そのものを指した用語だと考えています。同様にJ-COREという単語も、最終出力がGABBAなのかHAPPY HARDCOREなのかに関わらず、J-COREクリエイターが作ったハードコアを全てJ-COREと呼べてしまうのです。

だから(日本人ではない)JAKAZiDが作るUK HARDCOREは「日本人的センスのハードコア」なのでJ-COREと呼んでも違和感がなく、(日本人ではない)spy47が作るGABBAも「日本人的センスのハードコア」なのでJ-COREと呼べるのです。少なくともJAKAZiDのCillit Bangは世界で一番ヒットとした「日本人的センスのハードコア」です。ヨーロッパでUK HARDCOREを作りながら同時にNU STYLE GABBAを作る第一線のアーティストは驚くほど少数ですが、J-COREでは誰がどのようなジャンルを作っても驚くことはありません。

それはJ-COREがそもそも音楽ジャンルを指す用語なのではなく、音楽市場を指す用語だからです。「海外で流行っている」という売り文句にするために強引にJ-COREという言葉を使っていることも勿論あるとは思いますが(海外で人気があるからなんだっていうんでしょうか。海外でリリースしているから日本でなんだっていうのでしょうか、Cock Rock Discoに所属していることが日本で何の役に立つのでしょうか、ナードコア・テクノという呼称がJ-COREという風にカタカナから横文字に変わったからじゃあそれを買おうという人がどれだけいるのでしょうか)、J-COREというジャンル分けが出来た、もしくは受け入れられたのは根底にこのような考え方があるのだと思っています。

【変化したのは音楽面ではなく文化面】

さて改めてシーンの話です。近年、アニメ絵をかざしたJ-COREのリリースが非常に増えています。ジャケをアニメ絵にした方が売れるという状況が出来つつあります。これ自体は特に異常事態ではありません。

昔からサンダードームのように如何にもハードコアらしい(ここにはメタルの影響が強い)ジャケットがあり、ガバはガバらしく売れるジャケットがあり、皆が皆してそのようなジャケットにしていました。

初期ハピコアにはボンカーズのような如何にも気楽で楽しくスマイリーマークが似合う(ここにはOldskool Raveの影響が強い)ジャケットがあり、下手に真面目にすると売れなくなるので如何にもハピコアがハピコアらしく売れるようになるジャケットをみんながやりました。

これは別に今だって変わりはしません。現在のUK HARDCOREのリリースをご覧ください。如何にもレイヴァーな美しい女性がジャケットに映ったジャケットがいくつあるでしょうか。Clubland X-Treme HardとHardcore UndergroundとHardcore Adrenalineのジャケットを、もしロゴを抜いた状態で見せられたら私には区別がつける自信がありません。これが今のUK HARDCOREの流行のジャケであり、「売れるジャケ」なのです。

そして名前にだって売れる名前があります。売れそうなCDのタイトルには殆ど全てと言っていいぐらいHARDCOREと書いてあります。Hardcore Adrenaline, Hardcore Nation, Hardcore Heaven, Hardcore Underground, Hardcore Reunited、ガバも同様です、Hardcore To Da Bone, Always Hardcore, Hardcore Hooligan, Hardcore for The Headstrong。しかしこのタイトル付けはガバもハピコアも昔からずっとやっていることですから別に今更どうと言うことはありませんね。流行云々以前にハードコア全体の文化です。

大体にして流行のジャケを追うのは自然な流れであり、これは企業努力の一環です。昔からこういう流行のジャケを「好んで買う人」・「敢えて買わない人」「気にも留めない人」がいます、この構図はあまり変わっていませんし、変化したのはそんなところではないのです。

異常事態なのはJ-COREがクラブカルチャー→同人カルチャーという文化ごと転換しようとしていることです。文化・市場が転換している。つまりリスナー自体が変わっているんです。これは劇的な変化です。私が冒頭で「元からシーンにいた人にとってはハードコアテクノが終わった年、今シーンにいる人にとってはハードコアテクノが激変した年」と述べたのはこういうことです。最終的なリスナーはかなり異なった人々でしょう。文化・市場が変わるということはリスナーが変わるということです。

これはもうサウンド面が流行の流れに沿って変化していくなんてものではない、根底からの変化です。「ガバというシーンがハードハウスのシーンと融合してハードスタイルというシーンになってしまったからついていけなくなった」というのと「ハードコアというシーンが同人というシーンと融合してJ-COREというシーンになってしまったからついていけなくなった」では全然意味が違うのです。

NU STYLE GABBA→HARDSTYLEへの変化は文化としての変化が少なく、基本的にはサウンド面の変化です。しかしながらHARDCORE→J-COREは音自体の変化が少ないのに、文化が激変しています。上で鳴っている音は同じなのに、下で聞いている人は総入れ替え、極端に言うとJ-COREの今の変化はそういうことだと思っています。

【クラブカルチャーと同人音楽カルチャー】

では同人音楽的カルチャーを持つJ-COREでは駄目なのか、そんなことはありません。少なくとも私は同人音楽が大好きです。今世界でこれ程まであらゆる変化が起きているジャンルはA-POP及び同人音楽をおいて他にありません。(また、不況と言われる音楽界で唯一かつ急速に業績を伸ばしているのは同人音楽です。そのため最近では多数の企業が目をつけていますが、それはまた別の自分語りに譲ります。)

しかし同人音楽とクラブシーンは根本的に文化が違います。クラブシーンの人々はDJが何度もかけるトラック(アンセム)を聞き、レコードを購入します。しかし同人音楽は基本的にCDで音を聞いて予習してからライブを見に行くのです。これは「あいつらはクラブっていうもんがわかっていない」とかそんなくだらない愚痴を言っていても始まりません。なんといっても文化が違うのです。

プラスの面では、予習文化があるからこそ特定アーティストの特定楽曲に対するライブでの信じられないほどの盛り上がりが起き(一度でも見たことがある人はわかると思いますが、その熱狂はクラブDJの比ではありません)、マイナスの面では、知らない楽曲に対しては殆ど反応しない、という風になります。そしてこれを逆転させるとクラブ文化の長所短所になります。

どちらが良いか悪いかではありません、今現在の自分にどちらが合うのかが問題です。クラブカルチャーの方がカッコイイからJ-COREじゃ駄目だ。「クラブカルチャー=カッコイイ」、そういう幻想を新世代ハードコアファンに持たせることは販売戦術的に大いに結構でしょうが、少なくとも私はあまり興味がありません。

皆さんにどう認識して頂けるかわかりませんが、これからハードコアテクノシーンは全体的に同人音楽的なシーンに変貌していくと思います。そこではDJが圧倒的に劣勢であり、ライブアクトが圧倒的に優勢になっていきます。これまで通りのクラブ文化まっただ中にいる人にとってこれはたまったことではありませんね。だからこそそういう人々にとってはハードコアテクノシーンの終焉です。しかし同人音楽的文化の中にいる人にとっては最高の環境です。だからこそそういう人々にとってはハードコアテクノシーンの転換であり進化です。

しかしながら私の立場からいうようなことではないかもしれませんが、これだけ一気に転換するとやってる本人だって焦ります。もうちょっとバランスが取れないと現状は非常に危ういです。しかしこのような変化も良い悪いではりませんね。大事なことはそれが好きか、嫌いかです。

【これから】

今回の自分語りは、個人的なメールなどで「新作CDを出すんですが、ご相談がありまして…」と新世代の方に聞かれることが何度もあったためにこのような文章を思いつきました。さて、ではこれ程までに激変した新世代ハードコアテクノシーンで、これからCDを出すとすればどのような作品を作っていけばいいのでしょうか。私は今23です。だからはっきりいって偉そうに言える立場ではありません。少なくとも上の世代のクリエイターさんは私がこれからいうことを無視してください。では、これからハードコアテクノを作るクリエイターの皆さんへ。

好きなことをやって下さい。本来なら私がわざわざ言うまでもありませんね。ある人がもし頭の先からつま先までクラブカルチャーが好きな気持ちで埋まっているのであれば、「クラブカルチャー的なジャケット・DJ MIXを考慮した楽曲構成・リズムの音量を上げたドンシャリトラック」を満載したCDを作るべきです。

もし、とある方がクラブカルチャーを心から愛しているなら自然とそういったCDが出来るはずです。しかしここからが重要です。とある人がもし自分でもクラブカルチャーをカッコイイと思い、クラブミュージック的曲構成&ドンシャリを愛しているはずなのに、何故だかわからないけれどアニメジャケット・ラディオエディット・低音スカスカのCDが出来てしまう。

不思議ですね。しかし答えは簡単です。その人が同人ハードコアが好きだからです。そういう場合は可能な限り、同人音楽向けのショップで帯に「完全クラブ派対応」と銘打ち、同じく「クラブカルチャー=カッコイイ」と思うリスナー層へそのような販売戦略で売るべきです。これは全く悪いことではありません。「俺はオシャレクラブDJだ」と言ってアニメジャケットと同人音楽的なミックスダウンを展開するCDなんて、例をあげるのも面倒な程に沢山リリースされています。全く悪くありません。

大切なのは何が好きで何が嫌いなのかです。私は怪奇イラストが好きで好きで仕方がありません。だからこんなんなってしまうのです。逆にRoughSketch君のこのCD(=RAVE IS..)は完全に同人音楽と距離が置いてあり、趣旨が一貫しており実に見ていて気持ちが良いですね。

クラブミュージックを貫きたい人はクラブミュージックを貫き、クラブ的同人音楽を貫きたい人はクラブ的同人音楽を貫き、同人アレンジが好きな人は同人アレンジを貫き、サブカル音楽を貫きたい人はサブカル音楽を貫き、ライブに人を集めたい人はライブに人が集まるようなCDを作り、クラブに人を集めたい人はクラブに人が集まるようなCDを作り、沢山のCDを売りたい人は沢山のCDを作り、お金を儲けたい人はお金が儲かるCDを作るべきです。

今最後にお金の例を出しました。音楽の世界ではまるでお金を儲けることが悪いことかのように書かれることがあります。しかし何故数ある職業の中で音楽家だけお金を儲けてはいけないのでしょうか。クラブカルチャーが好きならクラブカルチャーに合ったCDを作り、お金が好きならお金が儲かるCDを作るべきです。

しかしクラブカルチャー的なCDは同人音楽層には見向きもされず、同人音楽的なCDはクラブ層には見向きもされず、お金が儲かりそうなCDは見向きもされないどころかクラブ層からも同人音楽層からも嫌われたりします。だから何のCDを作るにしてもそのCDに合ったリスクを覚悟しなければなりません。ただお金が絡むとそれだけで10倍ぐらいリスクが高くなって大変だな、という話ですね。

これまでの記述はまるで「全ての方向性のCDを赦すべきだ」なんて言ってるように見えますが、そんなことは言っていません。それこそ好きと嫌いが薄まってしまいます。好きなものは好きだと言い、嫌いなものは嫌いだと言うべきです。だから今は同人カルチャーが嫌いでクラブカルチャーが好きな人にとっては危機的な時期です。私も同人カルチャーが関わる隙もないクラブシーンは困りますが、クラブカルチャー自体は好きなので是非ともクラブカルチャーサイドには今こそ現状をなんとかして頂きたいです。逆にいえば好き嫌いに関わらずもうハードコアは放っておけば同人カルチャーで埋まってしまいそうな状況だと言えます。

話を戻しましょう、好きなものは好きだと言い嫌いなものは嫌いだと言うべきです。しかし多様性を広げる意味でもあらゆる方向性のCDが出るべきだとは思いますが、私だって嫌いなものは嫌いです。例えば一番わかりやすい例は「クラブカルチャー層の人が同人音楽層を馬鹿にしながら出す同人音楽層向けCD」です。私はこれが大嫌いです。(※本件に関して自分語り103にて意見が変わりました)

何故嫌いなのか自己分析してみましょう。こういうCDを出す人は何が好きなのでしょうか。同人カルチャーでしょうか、クラブカルチャーでしょうか、違いますね、お金ですね。「なんだ。お前、さっきお金を儲けようとするCDは悪くないと言ったじゃないか」、ご尤もな話です。

改めて言いますが私は個人的に「お金が好きな人が作ったCD」は嫌いではありません(別に特別好きでもないですが)。では何が嫌いなのか「誰かを馬鹿にしたCD」です。先ほどの「クラブカルチャー層の人が同人音楽層を馬鹿にしながら出す同人音楽層向けCD」は奉仕の精神に著しくかけています。しかもこういう人程、よくよく話を聞いてみると「クラブミュージックに詳しいリスナー」を「人間的に質の高いリスナー」だと考え、「クラブミュージックに詳しくないリスナー」を「人間的に質の低いリスナー」だと考えていたりします。

じゃあ質の高い人に売ればいいじゃないですか、悪意を感じます、非常に悪意を感じます。クラブカルチャーが好きだなんだといっておいて、実はそういうCDが出来るという時点でその人はクラブミュージックよりも同人音楽よりもお金が好きなのです。

自分で好きなものの優先順位がつかないまま、誤魔化したまま作るからこうなるのかもしれません。
しかし改めて言いますがお金を儲けようとするCDは嫌いではありません。

同人音楽の壁サークルにはかなり露骨な販売戦略のCDが登場し、批難を受けるときがあります。しかしお金が好きな人が作ったCDでも、私は大体の場合そういったサークルの多くには非常に好感を感じます。彼らの多くは、リスナーがどのような音楽を求めてどのような仕掛けを施すと売れるのか徹底的に勉強して、しかもその勉強自体が大好きだから継続して努力することが出来、結果壁サークルになっています。

「自分が好きな音楽を作りたい」と、つい考えてしまうところを、彼らはそれすらも凌駕する程に「お客さんが喜ぶ」ことの方が好きで仕方ないのです。そしてそれがお金に返ってくる。更にモチベーションがあがる。ここには強く奉仕の精神を感じます。だからそういう人が作ったCDはあらゆる工夫が凝らしてあり、「こういうやり方があるのか!」と毎回驚かされます。そこにはお客への奉仕の精神が溢れています。そういう人は実はお金が好き、よりもお客さんが喜ぶのが好き、の優先順位が高いのかもしれません。お金が好きな人は好きでも嫌いでもありませんが、お客さんが喜ぶのが好きだという人は、私はむしろ好きな方かもしれません。もちろん壁サークルにも「悪意のCD」はありますが…

最後に自分の話をします。では私がBOSS ON PARADE REMIXESでやっていることはなんなのか。結局これも好きの塊みたいなCDなんだと思います。同人音楽ファンに「世界中にこんな音楽があるんです!」と伝えたくて、しかもクラブミュージックファンに「私達はこんな音楽をやっています!」と胸を張って主張したいのです。欲張りなことだとは思っています。

そして何よりも同人カルチャーの中でクラブカルチャー的なことをする + クラブカルチャーの中で同人カルチャー的なことをする。結局私は何よりもそういうことが好きなんだと思います。加えて長期間テクノウチという存在を人の心に残したい。これらが私の好き嫌いです。

そして私自身は今の活動方針は長期的に見ても正しい行いだと思ってやっています。ということで今日の主張はこんなズレたCD造りを「正しい」と思っている輩が放った言葉です。それを見て「こいつの言ってることは正しくない」と思われるのは、それはきっと私の行いに説得力がないからなのでしょう。

ここまでお付き合い頂いてありがとうございました。どうか皆さんも好きなものを作り、好きなものを買ってください。


続編 : 自分語り633 J-CORE文化大革命 虐殺完了