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本稿は2014年にRough Sketchさん(Note Book Records)主催にて阿佐ヶ谷LOFT Aにて開催されたトークライブ「ハードコアテクノ概論」にてDJ TECHNORCHによって発表されたパワーポイント・プレゼンテーションを改題・改稿し、架空のナレーションを加えたものです。
本稿は本稿公開翌日にDJ TECHNORCH主催の定期トークライブ・イベント「テクノウチのテクノトーク@阿佐ヶ谷LOFT A」を控え、2007年に公開された「自分語り93 J-CORE文化大革命」を2015年現在のバージョンへアップデートしたものです。
「J-CORE文化大革命」を公開した背景には、それまで脈々と存在したヨーロッパ型の「本来の」ハードコアの勢力と、新興勢力である「J-CORE系」ハードコアの勢力が当時ほぼ1 : 1で均衡していたことがあります。勢力は均衡していましたが、明らかに急成長しているJ-CORE系には勢いがありました。
私は危機感を感じました。「このままではJ-CORE系勢力一色になる」もちろん私は本物のハードコアではない「偽物のハードコア」つまりJ-CORE系の勢力でした。勢力図が一気に変わってしまう懸念があるからといって、私は私で活動を拡大していきたいし、何よりも私がシーンの勢力をハンドリングしているわけではない。ですが結果は見えています。
文化大革命は「知識層の大虐殺」
自分語り633 J-CORE文化大革命 "虐殺完了"
本稿は実際に発表されたプレゼンテーションほぼそのままです。これはとあるハードコアDJに言われたことですが、彼が「本物の」ハードコアであるかはさておき「J-CORE」のDJではありませんでした。私はこう言われ、結構驚きました。
これはオランダ人のFFFと国内ツアーを行っている時に彼から聴いたことですが、DJ Paul Elstakが実際にイベントトークタイムに「昔はこうこうこうだったのさ、それでは気鋭の新人DJ、DJなんとかです!ドーン」というパターンを行うことがよくあったそうです。Paul ElstakはGabber/Rotterdam Hardcoreの始祖にあたる1人です。
誰かと誰かが「ハードコアはこうだ」という時、同じ「ハードコア」という言葉を使っているだけで、二人は全く別の話をしている。ですが、同じ言葉を使っているが故に「あいつの言うことは間違えている、あいつは口を開けばいつもこうだ」となっているのだと思います。
GABBERで考えてみましょう、ある人がいう「ハードコア」は左のようなハードコアですが、ある人がいう「ハードコア」は右のようなハードコアです。
(※Noisenecioではなく正しくはNoizenecioさんです、誤字が多いパワーポーポイントで申し訳有りません)
どちらもSOUNDの成分で考える等しく「ハードコア:GABBER」です。しかし何かが根本的に違う。両方ともGABBER KICKを使っているのに?
言葉をここではっきりと分けましょう。左は「Hardcore」、右は「J-Core」です。2つは違う音楽です。しかし違い方にも様々な違いが有ります。私は30歳、旧来私達はこう考えていました。
違うといっても違い方はこうです。包括関係、J-CoreはHardcoreの下位互換なのです。少なくとも私はそのように考えていました。しかし最近何かが違うようです。ではどう考えるとすっきりするでしょう。私は今こう考えます。
HardcoreとJ-Coreは重なり合う部分がある、しかし根本的に「異なる音楽」なのではないか?
合意をとっているわけではないので正確なことは言えませんが、私のような2003年世代はのアーティストはJ-CoreはHardcoreの下位互換であると考えて作曲していたと私は確信しています。何故でしょう?
J-Core系アーティストはJ-Coreを「サウンド的に」分類していました。アニソンブートレグJ-Coreの最盛期である2007/8年でもやたらハイピッチの日本語アニメボイスが「Hardcoreのビートの上に」のっているからこれはJ-Coreなのだ。と考えていましたし、始祖であるDJ Sharpnelさんは正にお手本のような差異でした。「サウンド的に」Hardcoreとやや違う音がなっているので、分類上J-Coreなのだと切り分けていたのです。普通にGabberを作曲していたらそれはただのGabberで、ソレ以上でもソレ以下でもありません。少なくとも当時のJ-Core系アーティストの多くはそう考えていたはずです。
※当時のプレゼンテーション画面に誤りがありました。m1dyさんは一番最初にJ-COREとして名指しされていたアーティストの一人です。失礼しました。 JAKAZiD / Cillit Bang
次第にイギリス人アーティストJAKAZiDによる、日本のナードコア・ブートレグを参考にしたとしか思えない「Cillit Bang」のような大ヒット曲も登場しました。この曲、どこからどう見ても「J-CORE」にしか聴こえない。そうか、外国人が作っても日本人的センスで作ったらJ-COREなんだという新鮮な驚きがありました。
一番最初にJ-COREと呼ばれたのはDJ SHARPNELさんだと言います。私もまさにKING OF J-COREだと思っています。
そんなDJ SHARPNELさんが直接的に影響を受けたという作品がThe Speed Freakの変名義によるこのトラック、聴いての通りラムのラブソングにガバキックがのっただけです。これが海外から1995年
(ものすごく時系列が前後していますが、アーティストの紹介という形でお許し下さい)
しかし2008年以降、J-COREという言葉はアーティストとリスナーの間で乖離を始めました。前述の通り、私が勝手に再定義した広義のJ-COREでは、「J-COREはカテゴリー名であり・スピリットの問題である」という定義でしたが、私を含め多くのアーティストの間では、当時のアニソンブートレグ全盛期にJ-COREはかなり「サウンドの面でも相当違うよね」という意識が共有されていたと思います。
実際に影響を受けて作るのは海外アーティストでも、J-COREもしくは後にJ-COREと呼ばれるアーティストを起点に作曲をするアーティストがとても増えてきました。それはMyosukeさんであり、そして私です。
2008年に出版した私の著作「読む音楽」の巻末ではJ-COREの未来についての記述があります。私はJ-COREは海外産Hardcoreの「偽物」であるが、これは愛すべき偽物である。次に私は、この「偽物」に憧れて作られた二重に「偽物」のハードコアの登場を切望しました。J-J-CORE?(※)
対して同書巻末でREDALiCEさんは逆の意見を提起しました。もう偽物はやめて、本物の方向に進むべきだと、現在のJ-COREと呼ばれるアーティストの作品を聴くに、先見の明は私ではなくREDALiCEさんにあったことが伺えます。
現在のJ-CORE系アーティストの多くは「本物」志向です。クオリティもとびきり高く、日本語ボーカルが入っていなければ本国産Hardcoreと区別することが難しい作品が多数あります。主流は「本物」のHardcoreなのです。
アニソンブートレグJ-CORE最盛期は2007/8年でした。ですが現在の本物志向を先駆ける多大な影響を与えた作品があると考えます。(本物志向の作品は他にも多数ありますが、影響を与えたという意味での選出です)
gigadelicです。この曲が生み出したアーティスト・アーティスト志望の数はとても多いと思います。ですが、この曲が「日本人的なセンス」であふれているかというとそんなことはなく、むしろ非常に本国志向です。Earthquakeは当時のAOFのヒットトラック。
重ねてSigSig、続いてSmooooch。これらkors k楽曲の若年層に与えたインパクトは半端なものではないと思われます。こういった起点が初めて、私達が考えていたJ-COREのサウンドと、なにかズレはじめた起点だと私は考えます。
現在のJ-Core系アーティストのコンピを聴いてみましょう。如何にも日本的で飛び出している?そんなことはないと思います。「本物」のHardcoreとジャンルが違うということは全くない。
こういうこと
狭義のJ-COREに戻りましょう。最初にJ-COREと呼ばれたDJ SHARPNELさんらは、文化に関係なく「サウンド的に明らかに違うのでJ-COREと呼ばれ」ました。これは海外用の言葉です。
その後、私の広義のJ-COREではHardcoreとは「サウンド的にも異なるし、文化的にも異なる」と提唱しました。
HardcoreとJ-Core、現在異なるのは文化面のみだ。ではその文化面は何が違うのか?
テキトーーーに分類するとこうなります。実は音ゲーはもっと早かったかなとも思います。
今、J-Coreの文化面を形作っているのは音ゲーだと思われます。
音ゲーが作る文化面とはどんなものか、クラブで発露される文化面を考えてみましょう。
こんな感じです。これは15年前に見たオタク系パーティーとあまり変わっていません。お引越ししてきただけですね。クラブカルチャーにオタク文化が入るとどうなるかというと、特に大きな要素として
があげられます。30cm先のDJブースは神の領域。アーティストのことを普通の人間だと思えなくなるのです。作ってる楽曲は元より、発言、Twitterの一挙手一投足まで気になります。
神格化が進むとどうなるか。アーティストとクラバーは分離し、クラバーは一方的にコンテンツを享受するお客様になります。双方向性がなくなるのですね。つまり
今あげた特徴は、とても悪くとられることがあります。これは悪いことなのでしょうか、そして恥ずかしいことなのでしょうか?クラバーがオタクを批難するのならわかります。ある一つの価値観の元に、違う価値観を否定する。是非はおいておいてそれは十分に理解出来ることです。ですが、多くの場合、オタクがオタクを批難するのです。何故か
それはオタク文化がもつ特徴の一つなのです。自分は衝動にかられてある行為をどうしてもしてしまう、ですが、それが本人は物凄く恥ずかしいのです。
極端な例をあげます。これの真反対、というよりは表裏一体の文化として、自分の衝動にかられて行った行為に極端に自信を持つ、日本発のストリートカルチャーがあります。
それは、パラパラです。
パラパラでもなんでもいいのです。竹の子族・珍走団・パラパラ、大体言いたいことはわかりますよね?これは日本発のストリートカルチャーです!そう、日本発のストリートカルチャーは常に恥ずかしいのです。
何故これらの文化と表裏一体か?それは踊り方に決定的な共通点があるからです。
はい
更にパワーアップすると
ブレイクとかでシンセに合わせて腕をうなぎのよ〜にのば〜したりうねうねうりうり
誰も出来ないということではないです。マスの世界では普及しないということです。
日本のオタク・ギャル文化の世界と、世界的なクラブカルチャーの流行はかなり異なります。
これはウソですが、現在は流行が分散し過ぎていてよく分かりません。ですが、かなりのシェアを牛耳っているアニソン・アイドルソングでは、Happy Hardcore等に影響を受けたとしかいえない高速4つ打ちソングが大量に溢れるようになりました。
一瞬でわかる、腰から上用の楽曲構成、腰から下で何時間も踊るようには出来ていない、それがイイ
ここで大切なこと、腰から上で踊るように出来ているというと、それだけで悪であるかのように考える人がいます。しかし我々が親しんでいるTECHNOという音楽は、常に新しい事・革新的であることを是とする音楽ジャンルです。なのに
これらの音楽は間違いなく新しいのに「恥ずかしい」から新しいとはいいたくない、歴史に入れたくない。私は考える。最も恥ずべきことは何か
「自信」を得るために何かデータで裏付けが欲しいですか?では例えば
信じられませんか?ちなみにDJ TECHNORCH程度でベスト盤の売上4500枚です。
CLUBLAND X-TREME HARDって最後に出たのはいつでしょうか?
対して、あなたは四半期に一回リリースされるJ-CORE CDを数えられますか?
juno dowlonad.comにて15ダウンロードでNeophyteを抜いてHardcore Chart 6位になった時はさすがに驚きました。これは海外にも配信している複数の日本人アーティストの間で確認をとった話です。ヨーロッパの人々はCDも買わなければmp3シングルも買っていない、ではヨーロッパではHardcoreは人気がないのか?もちろんそんなことはまっったくナイ!
オランダ・ダンスミュージックフェスティバルDance Valleyの動員は10万人レベル、人口比から考えると誠に驚異的としかいいようがない。このようなフェスのかなり重要な位置にHardstyle/Hardcoreが登場します。対して日本の最大規模のHardcore/J-CoreパーティーはMAX1000人レベル。これでは全く売上との釣り合いが取れない、何故か?
UKのDJ、Thumpaが来た時に日本の動員500名とCD売上3000枚の話をしました。彼は誠に混乱していました。「それではまるきり逆じゃないか」そう、逆なのです。ヨーロッパの人々と我々のダンスミュージックの楽しみ方は全く異なる。
※パワーポイントに誤字がありました。「腰から下の音楽」→「腰から上の音楽」です
日本独自のHardcore解釈で産まれた名曲は沢山ある!私はこれらのような楽曲がHappy Hardcore/Gabberの影響なしに産まれたとは少しも思えない!そして、このような楽曲が他の国で生まれるとは少しも思えない!こんな楽曲世界中探しても日本にしか存在しない!!
自信だ!あと足りないものは自信だけなんだ!!!
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